神、人を喰う
−人身御供の民俗学−
六車由実著
新曜社・2003年3月31日発行
定価 本体2500円+税
第25回サントリー学芸賞(思想・歴史部門)を受賞しました。
受賞の言葉 鷲田清一氏による選評
拙著についての新聞・雑誌等での書評
2003年4月25日 評者・中路正恒「暴力の素顔」 『東北学』8号
2003年5月4日 評者・川村二郎「原始の闇に向き合う」 『読売新聞』
2003年5月10日 インタビュー・稲垣真澄「“人身御供”の精神」 『産経新聞』
2003年5月18日 評者・久保田力「人間の根源的暴力の記憶」 『山形新聞』
2003年5月25日 評者・三浦佑之「共同体の隠された暴力性 喰われる側から考察」『東京新聞』・『中日新聞』
2003年6月1日 評者・菊地和博
2003年6月7日 評者・礫川全次「今日の供犠論の水準を示す力作」 『図書新聞』
*どうもありがとうございました。
目次
はじめに
序章 「人身御供」はどのように論じ得るか
一 柳田の供犠論の揺らぎ
二 供犠論前史−モースの食人説をめぐる明治期の知識人たちの論法
三 大正期の供犠論の展開−皇居の「人柱」事件から
1 事件の経緯
2 『中央史壇』を中心にした供犠論の展開
3 昭和期の沈黙
四 己れの歴史として
第一章 「人身御供の祭」という語りと暴力
一 問題の所在−近代知識人の道徳意識と人身御供
二 近世の儺追祭と「人身御供の祭」というレッテル
1 近世知識人による「人身御供の祭」の記述
2 近世の儺追祭の様相−恐怖と緊張の現場
三 祭祀改変と「人身御供の祭」
1 尾張藩の知識人による対応とその変容
2 神官による説明体系の転換
3 村人たちによる「人身御供の祭」という語りの受容
四 「人身御供の祭」の行方と祭における暴力
1 祭祀改変という事態がもたらした祭の現場の変動
2 反復される暴力と公権力による統制、そして人身御供の語り
第二章 祭における「性」と「食」
一 問題の所在―儺追祭のケースを振り返って
二 人身御供祭祀の諸相―「人身御供」に擬された女性が登場する祭
三 人身御供祭祀と巫女との関わり―上井説への疑問
四 「神の性的奉仕者」から「神の食べ物」へ―祭における「性」と「食」の関係
五 「犯す神」と「喰らう神」―根源的な暴力への期待―
第三章 人身御供と殺生罪業観
一 葛・諏訪神社の供養塚
二 人から獣、そして魚へ―殺生罪業観の浸透
三 殺生の罪の緩和と「人身御供譚」
第四章 人形御供と稲作農耕
一 問題の設定
二 人形御供の諸相
1 八尾市恩智神社の御供所神事
2 奈良市西九条町倭文神社の蛇祭
3 大津市下坂本の両社神社・酒井神社のおこぼまつり
4 草津市下笠の老杉神社のオコナイ
三 人形御供の祭における役割
四 村落組織としての宮座との関係
五 人形御供の発生について
1 宮座の祭の展開から
2 稲作農耕の発展と殺生罪業観の浸透から
終章 人柱・人身御供・イケニエ
一 人身御供譚は暴力排除の物語なのか―赤坂憲雄の人身御供論への疑問から
二 人柱と人身御供
三 イケニエの置き換え
四 神を喰うこと/神に喰われること
五 失われた生の実感を求めて
注
引用・参考文献
あとがき
索引