鞦韆録
日々のクオリアのほうを担当しておられる大松達知さんが、少し前のご自身のブログに「添削」ということについて書いておられた(※1)。
添削など必要なさそうなベテランも、添削を求めるという。そういうところから、そもそも「添削」はどういうことか?と問題を立てている。これはまた考え始めると、いろいろな面がありそうだが、ひとまずは読んでコメントをもらうことが必要なのだろうとまとめている。
おそらく選歌欄への投稿というのも、そんなふうに読者を求める行為なのだろう。「添削」というのは、いわゆる投稿と比べれば必ずコメントが返って来るというところに特徴がある。
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これはもう少し古い話。月刊「新潮」の昨年10月号に、六車由実が「『介護民俗学』から」という文章を書いている。
六車由実といえば、『神、人を喰う―人身御供の民俗学―』(新曜社,2003:サントリー学芸賞)である。人柱や人身御供、祭礼における食ということを考えようとするとき、参考になることがいろいろ書かれていてたいへん面白かった。最近は、エンターテインメント系の時代小説で参考文献に上がっていたりする。
その六車が、東北芸術工科大学を退職して、いまは「縁あって、静岡県東部地区のある特別養護老人ホーム内のデイサービスセンターで介護職員として勤務している」という。文中には、民俗学の行き詰まりのようなことも示唆されているが、どんな経緯があったのかはわからない(※2)。
ともかく、「3ヶ月間、ホームヘルパー2級の講習を受講したうえで、現職場で働くようになった」のであり、執筆時点で「働きはじめて3ヶ月以上たつ」ということである。当然ながら、いろいろ戸惑うことがあるようだが、そのハードルを乗り越えつつある現状について、まず、こんなふうに書いている。
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大きな心の支えになっているのは、デイサービスの利用者との関係である。デイサービスには、大正一桁生まれはもちろんのこと、明治生まれの利用者も通っている。しかも子供のころのことや若いころのことはかなり鮮明に覚えている。たとえば大正2年生まれの女性利用者は、関東大震災のことを生々しく語ってくれる。
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引用ここまで ————-
そうだろうなあ、今朝のこと忘れても古いことは覚えているんだよなあ……とまずは思いながら読む。しかし、このことが民俗学において、どれほど重要性かということは、ふつう気がつかない。六車は、つづけてこう書く。
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実は、私が民俗学の聞き書きを始めた頃にはもうムラでは大正一桁や明治生まれの方にお話を聞くことはほとんどできなかった。せいぜい聞けても大正二桁までだったのである。それが、デイサービスではなんと関東大震災を体験した世代からの生の声を聞けるのである。また、高度成長期に多くの出稼ぎ者を迎えた静岡県の特徴なのか、北海道長万部出身の炭鉱で働いてきた男性、宮崎県都城市出身で東海道新幹線が開通した年に静岡に来たという男性、そして、長野県栄村、すなわち鈴木牧之の描いた秋山郷で炭焼きの両親のもとで育った女性など、全国各地から利用者が集まっている。その利用者たちが様々な経験について語ってくれるのである。まさに、デイサービスは民俗学の宝庫といっていいだろう。
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1970年生まれの六車が、フィールドワークを始めたのは、十数年前のことであろう。その頃すでに、過疎の農村に話の聞けるお年寄りが少なくなっていたのだ。民俗学というと、現場が重要であり、その場に根ざして長く生活してきた人から話を聞くというものだろうと思われるが、過疎の現実からすると、もはやそこにとどまる人だけを対象にしているのでは、私たちの文化の基層は深く埋もれてしまって見えなくなっている。むしろ、出稼ぎのために都会に出て、そのまま定着した人々や、都会で生活する子や孫のところに身を寄せることになった人々のほうが、多数派であるかもしれない。
そういう人に出会いながら、「介護の現場は、民俗学のフィールドとして新たな可能性をもっている」と、すこし興奮ぎみに書いている。その熱気が伝わってくる文章だ。
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もうひとつの論点は、高齢者介護に対する、民俗学的アプローチの重要性である。
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自分は何の役にも立たない、何のため生きているのか、この世は生き地獄だといった言葉を利用者が口にすることがしばしばある。すなわち、利用者の多くは、体力や記憶力の衰えなどにより、社会や家族からの疎外感を感じ、生きる気力を喪失しているのである。ところが、そうした利用者に子供のころや社会で活躍していたころの話を聞くと、表情は一変しいきいきと目を輝かせていく。介護の世界では、このような利用者の話を聞くことで記憶を呼び起こしていく方法を回想法と呼び、90年代から本格的に日本でも試みられてきた。
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話を聞くのは、民俗学の「お家芸」である。フィールドワークである。民俗学でも文献だけを扱う人もいれば、少数のインフォーマント(案内人:しばしば農村出身の学生など)からの情報に依拠したり、弟子をフィールドワークに派遣することによって、考える材料を集めるような場合もある。けれど、基本は、その土地の人の語りを引き出すことであり、それは〈俺は学者だ〉式では、ぜんぜん駄目なのだ。
語り手を肯定し、学ぶ姿勢で臨まなければならない。訛りのある言葉を理解できなければならないし、その土地のことについての基礎知識がなければ、話の接ぎ穂が出せない。相槌をうち、適切なタイミングで問いかけ、それによって話者とともに、降り積もった記憶の迷路をたどってゆく。もちろんそれは、現実そのままではなく、長年にわたって変形された記憶であるかもしれないけれど、生きた記憶を、そうやって引き出しながら、話者自身が、自分を回復してゆくことになる。
これはつまり、ほとんどカウンセリングそのものであるとも言える。そして通りいっぺんのカウンセリングではないのである。
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民俗学の側からは、これまで高齢者介護には全くアプローチがなかったが、私は実際に介護の現場で利用者に話を聞きながら、この回想法には民俗学的な知識や手法が必要であることを実感している。というのも、聴き手である介護者の側に、利用者の生きてきた頃の暮らしやその時代背景などについての知識と関心がなければ、利用者の発する言葉の意味を受け止めることは難しいのではないかと思うからである。たとえば栄村出身の利用者が「私は山育ちで炭焼きばかりしてきたから都会のことはわからないの」と言ったとき、栄村=秋山郷という知識のもとに、炭焼き小屋はどんなだったのかとか山ではどんなものが採れたか、などといった問いかけを聴き手がしていかなければ、「山育ち」だけで話は終わってしまう。利用者の心に寄り添ってより深く記憶を掘り下げるためには、利用者の暮らしてきた地域や時代とはどういうものかを知っているかどうか、あるいはどれだけそこに関心を向けることができるかどうかが、回想法においては、聴き手側に求められる資質であるはずである。
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引用ここまで ————-
つまりは、そういうことなのだ。「関心を向ける」ということなのである。それを抜きにしては、どんなに福祉に予算をつぎこんでも、人は幸せにはならない。
そのひとに興味をもてば、その人の生活史を知らなければならない。それはつまり、大きな社会の歴史だけではなく、まさに民俗学が扱ってきた分野なのである。
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六車が書いているのは大きく2点。民俗学としての可能性。そして介護の現場で民俗学的アプローチが有効であること。このことから六車は「介護民俗学」を掲げようという。それをライフワークにしようというのである。
六車自身の、そいして民俗学と社会福祉の双方の分野で、よい成果が出ることを期待したいと思う。
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六車の文章を読みながら思うのは、「語り」と、それを引き出すということは、短歌を作ることと、読み味わうことに似ているということである。もちろん同じだとは言わないが、たとえば近代短歌を鑑賞するというのも、どこか古老の回想を聞き出すようなところがある。選歌や添削の現場、教室などで高齢者の作品を読むのも、そういうことだろう。
背景となる歴史についてある程度知っていなければ鑑賞の手がかりがない。年表的な事実だけではなく社会生活がどうであったのかということは、むしろ作品の中から読み取ることであるかもしれない。
歌会や、教室などで長々と「語り」がはじまってしまうと困ることもある。聴き手としての「資質」といわれると、私などは苦手だと思わざるを得ないが、薀蓄も含めて、社会の歴史について折々調べていることが話の接ぎ穂なる。おそらくは拾い落としている題材がたくさんあって、それは聞き手のいるところで発見されるのだろう。
読み取られ、作歌を促されることは、作者にとって必要なことであると同時に、読む側も、自分の鑑賞の枠を広げることであるだろう。
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※1
http://pinecones.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-e3c7.html
※2
http://muguyumi.hp.infoseek.co.jp/
「しばらく更新もしなかったため、「六車が行方不明になった」との噂が巷に広がっていたとか、なかったとか。」と書いておられるが、ほんとに心配してたのですぞ。