書評  菊地暁著『柳田国男と民俗学の近代
ー奥能登のアエノコトの二十一世紀』
(吉川弘文館2001年10月1日発行 8500円)

民俗誌という営みの行方を問う


 収穫を終えた水田から田の神を家に迎え、風呂とご馳走で主人が丁重にもてなす。田の神は目が見えないので、主人は、御膳に並ぶ料理の名前をひとつひとつ告げて饗応する。そうして一二月に迎えられた田の神は、二月に再び田へ送り出されるまで、各家の床の間に飾られた稲籾俵に宿り、祀られる。
民俗学を少しでもかじったことがある者であれば、奥能登に伝えられるアエノコトを知らない者はいないだろう。そして、アエノコトを日本の農耕儀礼の原風景を遺す素朴な祭として、その様子を記憶している者も少なくないに違いない。
 こうしたよく知られたアエノコト像が、柳田国男の想像力の飛躍によるものであることを、そしてそれがいかなる過程で創出されてきたのかを、本書は追跡し、克明に記述している。それは、まるで推理小説の謎解きのようにスリリングだ。まず最大の問題は、アエノコトという名称それ自体にある、という。菊地によれば、奥能登ではむしろ田の神様とかアイノコト、ヨイノコトなど各地域によって様々な名称で呼ばれていた。柳田は、郡誌や調査報告書によってこのことを当然知りながらも、たった一例しかないアエノコトという名称でこの行事を代表させ、そこに「饗の事」(神を饗応する祭)という意味を過剰に読み込んでいったのである。それは、神と祀り手との共食による一体化が日本の祭の本質的なあり方だと考える柳田の「固有信仰論」の文脈の中に、この行事がからめとられていく第一歩を意味した。
 柳田の想像力は更に大きく、限りなく膨張していく。アエノコトで家に迎える田の神は、本来、田と山とを往復する祖霊であり、また次の年の稲種に宿るとされていることからすると、それは稲霊への信仰でもある、と柳田はいう。田の神=山の神=祖霊=稲霊というモチーフが、アエノコトを素材にして見出されていく。そして、戦後日本の社会状況の中で天皇を民衆的基盤の上に再創造することを意図して創設された「にひなめ研究会」を契機にして、柳田は、アエノコトを、皇室の祭と民間の祭との境界を緩やかにつなげる原初の農耕儀礼、「民間の新嘗祭」として位置づけていくのだ。
 伝統文化の創造にどのような操作が加えられていったのかを、あるいはそれに関わる柳田国男の政治性・作為性を暴き出す批判的手法は、最近の文化人類学や民俗学における若手研究者の常套手段だと言っていい。だが、本書がそうした重箱の隅をつつくような瑣末な議論と一線を画していると思われるのは、本書がアエノコトという一地域の農耕儀礼を通して民俗学の営みそのものを見透かすことを意図している、そしてそれが見事に成功しているからだ。
 柳田によるアエノコト像が創造される過程で、いくつもの調査報告書が提出されたが、しかし、経験科学を標榜する民俗学でありながら、そこに報告された行事の多様性は柳田の理論化の過程で掬い取られることはなかった。そればかりではなく、調査者のアエノコトに向けられた視線そのものが柳田の想像/創造に引き寄せられ、報告書の記述も画一化していったのである。そうして創り出されたアエノコト像は、更に、民俗写真やマスメディアに露出していくことによって、奥能登という地域をはるかに越えて広く流通していき、めぐりめぐって儀礼の現場へと再受容されていった。そこに演じられる儀礼表現は、もはや原初の農耕儀礼の姿を遺した素朴な祭などではない。
菊地がここに描き出すのは、民俗学の調査と記述が否応なく抱え込んでしまう関係の重層性/錯綜性であり、また、菊地が糾弾するのは、そうした問題に気づかずに、あるいは気づかないふりをして、相変わらず民俗を自律的なもの、ゆえに素朴なものとして記述してしまう民俗学者の無自覚さである。私を含め民俗を研究の対象とする者は、この菊地の問いかけを真摯に受け止め、いずれ応答していかねばならないだろう。それほど、この問いかけは重い意味を持っているのだ。
 だが、私は本書についてそのように評価しながらも、菊地に逆に問いかけてみたい。それではあなたはこれを踏まえた上で民俗学者として何をしていくのか、と。終章で、菊地は自らの苛立ちを吐露している。「『調査が好きだ』という(調査者の―引用者注)内面的基準を、いつのまにか特定の文化や社会や歴史を特権的に語る際の発話の要件にすり替えて怪しまない、きわめて恣意的な言説共同体(つまり人類学と民俗学―引用者注)、そのあり方に強烈な違和感を感じざるを得ないのだ」という。だが、一方で、自らは民俗を記述していくこと、すなわち民俗誌を無用なものとして否定するものではない、とも述べている。つまり、民俗誌が内在する政治性や詩的想像性と、それゆえの民俗誌の営みの部分性とを自覚しつつ、民俗を記述し続けなければならない、というのである。
 しかし、私には、菊地のこの二つの言葉の間に、何か癒しがたい屈折のようなものが感じられてならない。別な言い方をすれば、菊地は、何ゆえに、「調査が好きだ」と言明できないのに、それでも民俗誌を書かなければならないのかが私にはいまだ見えてこない。それは、もっと言えば、何ゆえに、民俗学という学問を、そして民俗を、菊地は対象に選んだのか?あるいは選び続けるのか?という問でもある。そのことへの言及なしに、民俗を記述し続けることを自明の前提とするのは、本書での菊地の問いかけのもつ意味を無化することにならないだろうか。
 もちろん、「調査が好き」かどうかが問題ではない。また、調査の目的やモチベーションが自律的に調査者に内在するわけではない、と批判されることも十分承知している。だが、私は、民俗を客観的事実として科学的手法で記述することが不可能であるとするならば、民俗を研究対象とすることの自らの目的や動機に率直に向き合うことこそが、民俗誌という営みの部分性を自覚することに他ならないのではないのかと考えているのだ。
 舌足らずのままに、声を荒げて批判がましいことを述べてしまった。これは、本書に対する疑問を呈することによって、なぜ民俗を研究しているのかという問いかけに対する答えがいまだ言語化できていない己への苛立ちを私が意識したからに他ならない。そういう意味では、本書は、私を含めた菊地と同世代、もしくはそれより若い世代の民俗学を志す者たちの抱える行き場のない閉塞感やそこにおける葛藤をも透かし見せているのかもしれない。
 最後に、本書が学界でもつ意味を考えたら、八五〇〇円という価格は不当に高いのではないか、という感想をもったことも正直に付け加えておきたい。

(『東北学』6号  2002年4月30日発行)

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