山形新聞 日曜随想8    2003年9月21日(日)掲載分

光に照らされた村



 今月の三日から七日にかけて、韓国の済州島を訪ねた。今回訪れたのは、済州島の東の端に位置する、城山邑の吾照里(オジョリ)という漁村。今年の三月に海女の祭であるヨンドン祭の共同調査に訪れて以来、半年ぶりである。前回は、数日の調査のうちに、複数の村の祭を見ようという欲張りな日程を組んでいたので、吾照里に滞在できたのは実質半日だった。だから、一通り祭を調査したのみで、いったいこの村がどんな村なのか、祭を支えている村の暮らしぶりを、知ることも、肌で感じることさえもほとんどできないまま帰国の途についたのであった。今回は、そうした反省を踏まえたうえで、吾照里を拠点にじっくりと調査を行うことにしたのである。
 村のちょうど東向かいに浮かぶ城山日出峰という荘厳な山を一望できるペンションに滞在していた私たちをまず感動させたもの。それは、この峰と海原を赤々と照らしだす神々しい日の出だった。ペンションのオーナーに起こされ、眠い目をこすりながら二階のベランダに立った私たちは、澄んだ空気にきらきらと溶けたまぶしい陽の光に全身つつまれた。まさに名のとおり、吾照里は済州島で一番最初に明るい陽の光に照らされるところなのだ。
 そんなすがすがしい朝を迎えた私たちは、その日、海女さんたちの暮らしを調べるために、海辺にある海女の家を訪ねた。朝八時半、海女さんたちが次々と集まってくる。彼女たちはとにかく元気がいい。ウエットスーツに腕や足を通しながら、船着場へと向かいながら、常に大きな声でしゃべり続ける。海女さんたちの多くは四十代、五十代なのだが、なかには七十代で現役の海女さんもいる。このおばあちゃんたちも若い海女には負けてはいない。日陰や船の上で涼みながら朝から気持ちよさそうに昼寝をしている男たちの脇を、大騒ぎしながら歩いていく。男たちもそれをまったく気にかける様子もない。むしろ、太陽のようにたくましくて元気な女たちに、あとは任せるよ、となんだか母親に見守られた子供のように安心しきって寝ているようにも見えるから面白い。
 実際、吾照里の海女さんたちは実によく働く。海女船に乗って沖合まで出ると、海女さんたちは自分の能力に応じた深さのところでそれぞれ海に入り、潜り始める。この時期は、トコブシやタコ、ウニがとれるが、収入は歩合制とあってだいたい五時間ぐらいは漁をする。私たちも海女船の上から海女さんたちの漁の様子を見させていただいたが、先ほどの大騒ぎとはうってかわって海に潜る海女さんたちの表情は真剣だ。海女さんたちは黙々と漁を続け、海原には、波音にまざって磯笛(海女さんたちが海面に浮かび上がってきたときにする息の音)だけが静かに響いている。午後二時すぎに海女さんたちはようやく船着場に戻ってきた。残念ながらこの日は波が荒くて収獲量は少なかったが、海女さんたちは気を落とすことなく、また大騒ぎしながら海女の家に戻っていく。そうして、着替えを済ませるとゆっくりと休む間もなく家路に着く。今度は、畑仕事が待っているのだ。朝から晩まで、海女さんたちは海で畑で、そして家で働き続けていた。それでもちっとも苦にしている様子は見せない。若い海女さんたちは、夜にはエアロビクスなどに通っていて、むしろ自分たちの人生を楽しんでいるようだった。
 吾照里の暮らしは、この太陽のような女たちに支えられている。それは明らかだ。では、男たちは何を?そんなことを考えていると、ペンションのオーナーが、夜の散歩にと、車で海辺まで連れて行ってくれた。すると、海の向こう側が一面明るく照らされているのが見えた。タチウオ漁の漁火だ。昼間気持ちよさそうに昼寝をしていた男たちは、夜、静かに沖合から吾照里を照らし出していたのである。朝の日の出と、太陽のような女たちと、夜の漁火。この村は、いくつもの明るい光に一日中照らされた光の村だ。そんなことを感じながら、吾照里一日目の夜は更けていった。



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