山形新聞 日曜随想7    2003年8月17日(日)掲載分

言葉の泉に浴する


 東北の人は寡黙で口下手だ、というイメージがある。しかし、それはまるで当っていない。東北を知らない人たちから貼りつけられた勝手な「東北イメージ」だ。ほとんど「東北」というものに直に触れたことのなかった私のなかで、そんなステレオタイプのイメージが一挙にがたがたと崩れたのは、情けないことに、山形で働きはじめる少し前であった。
 こちらに来る前に私はしばらくの間、大阪に住んでいた。でも、富士山を目の前に臨む田舎の町でのんびりと育った私には、大阪のアップテンポがなかなか馴染まない。次々と掛け合わされる言葉の洪水にアップアップしてしまう。だから、大阪やその周辺の地域でフィールドワークをする場合も、いつも予定調和的でリズミカルなツッコミやオーバーなリアクションを強要されているような強迫観念に苛まれて、今日はじっくりと話を聞くことができたなあ、と心から満足できることは一度もなかったように思う。そのころの私には、不幸なことに、民俗学に必須のフィールドワークは単なる苦行でしかなかったのである。今から思えば、結局そのときも、大阪という場所にまとわりつくステレオタイプのイメージに私がとらわれていただけなのだろうが。
 民俗学の調査として、はじめて東北を訪れたのは、ちょうどそんなころの冬のことである。東北の山村の総合的な調査・研究として、東北文化研究センターからそのひとつの地域の調査を依頼されたのだ。北上川支流の稗貫川沿いにひらけた早池峰山麓の集落・大迫町。一度も訪れたことのないこの場所での独りっきりの調査に少なからぬ不安もあった。友人のなにげない言葉も気になっていた。「ええなあ。近くに温泉もあるんやろ。けど、東北の冬は寒いで。寒いからみんな無口やし、言葉もようわからんし。大丈夫か。」温泉があって、寒くて、無口で、口下手。それが大阪生まれの友人にとっての、そしてそのときの私にとっての共通した東北のイメージだった。それでも、大阪での人間関係と研究生活に行き詰っていた私は、気分転換を兼ねて大迫へ向かったのである。
 はじめて訪れた十二月の岩手の山村で感じた寒さは、あまりよく覚えていない。が、ただ、話をうかがった方の多くが意外に饒舌である、ということの新鮮な驚きだけは今でも鮮明に思い出す。たとえば、大正生まれのおばあちゃんを訪ねたときのことだ。私は緊張した面持ちで、「このあたりではいつごろまで焼畑をやっていましたか。」などど、あらかじめ準備してきた質問をいくつか投げかけてみた。おばあちゃんは、お茶をすすりながら答えてくれる。次の質問。次の質問。そして沈黙の時間が流れる。なかなか思ったように話が広がらないことに焦り始めた私に、おばあちゃんは、「まずは茶飲め」と優しく促した。そして、「昔、町で市があってな。市で買ってきた魚、ここまでもってくるとプンプン匂ったんだ。」と昔のことをぽつりぽつりと話し始めた。ゆっくりと、休み休み、けれどおばあちゃんの口元からは次々と言葉が紡ぎ出されてくる。私は、しばらくの間このゆったりとした時間の流れに身をゆだね、おばあちゃんの言葉にじっと耳を傾けてみることにした。
 心地よい時間が流れた。気がついてみると四時間近くたっていた。長い時間をかけて紡がれたおばあちゃんの言葉の連なりは、おばあちゃんのこれまでの人生を物語るものになっていた。私が準備してきた質問に対する応答の何十倍もの面白くて、そして深い話が聞けたという充実感と、ゆったり湧き出る言葉の泉に浸っていたことでのほのかな気だるさに私は全身満たされた。このとき思ったのだ。もしかしたら、東北の人は寡黙なのではなく、私たちがその言葉を聞こうとする態度をとっていなかっただけなのではないか。
 それが、東北での私のフィールドワークの原点になった。焦らず、ゆっくりと、相手の息づかいに寄り添って、言葉の湧き出る泉に身を浴してみる。そのときを境に、私のフィールドワークは、苦行から楽しみに変わった。

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