山形新聞 日曜随想6 2003年7月13日(日)掲載分
村で生き、村で死ぬ
先月、山形市内で上映されたドキュメンタリー映画「アレクセイと泉」(監督・本橋成一)を観た。映画の舞台は、一九八六年に爆発事故を起こしたチェリノブイリ原子力発電所から、たった一八〇キロしか離れていない、ベラルーシ共和国の小さな農村ブジシチェ村。森も畑も、村のあらゆる場所が放射能に汚染されてしまったこの村からは、かつて六〇〇人いた住民のほとんどが立ち去って、五五人の老人とアレクセイという一人の青年だけが残り、ひっそりと暮らしている。残った村人の心を支えているのは、村の中でたったひとつだけ汚染されていない奇跡の湧き水である。この泉は、大地に降り注いだ水が地下を通り百年をかけて湧き上がってくるのだという。村人たちは「百年の泉」と呼び、祈りを捧げ、この泉を大切に守り続けている。
原発反対ということを声高に訴えるのではなく、事故のあとも村に残り、変わらずに畑を耕し、きのこを拾い、豚や鶏を飼って暮らしている老人たちのまさに日常風景を、アレクセイ青年のまなざしにできるだけ近いところから、たんたんと、でも愛情たっぷりに描き出しているところが、とても共感できる。「あなたは裏切った。私は違う。」とカメラの前でぽつりと語った年老いた妻に、「わしと結婚してくれてありがとう。」と何度も口づけをするアレクセイの父イワンの照れくさそうな表情。娘時代を思い出して突然ひとりで踊りだすターニャお婆ちゃんのしわくちゃだけどとびきりチャーミングな笑顔。カメラは、登場人物が見せる一瞬の表情をとらえて、そこに彼らひとりひとりが背負ってきた人生のすべてを見事に映し出している。
たぶん、この映画の主題は原発や放射能汚染なのではなく、村で生きること、生き続けること、そのものなのだ。老人たちとアレクセイは、なぜ放射能で汚染されたこの危険な村から離れないのか。それがこの映画に貫かれた大きな問いである。監督の本橋氏は、アレクセイにその理由をこう語らせている。「ほんとうのことを言うと、何がぼくを村にとどまらせているのか、わからない。この年まで、余所の土地で暮らしたことはない。村のすべてが、ぼくにはしっくり感じられる。『生まれ育ったところで役に立つ』そんなことわざがある。この村以外の、いったい何処へ?」
そういえば、この言葉とよく似たことを、私たちが制作した民俗映画のなかでも、おじいさんやおばあさんたちが語っていた。昨年、温海町関川を舞台に制作した「関川のしな織」では、関川で生まれ関川で育った茂子さんが、村を出たいと思ったことはないかという学生の問いかけに対して、こう答えていた。「外に出て行こうなんて思ったことはない。ここがよくて暮らしてるんだ。」その前の「牛房野のカノカブ」でも、尾花沢市牛房野で、たったひとりでカノカブ(焼畑で作るカブ)を作り続けている昭三さんが、最後にこう言っていた。「昔からあるものをなくしたくない、と感じてるんだ。できることなら、のびるまで続けていきたいと思ってる。」
生まれた土地に死ぬまで住み続ける。昔からやってきたことを少なくとも自分の代まではし続ける。アレクセイの言葉からも、また茂子さんや昭三さんの言葉からも、彼らが、村で生きる/死ぬということを、力まず、とても穏やかに受け入れているように感じられる。民俗の聞き書きをしてきた私は、たぶん、以前にも何度かこうした言葉を聞いていたはずだ。しかし、進学や就職のために親を残して生まれ育った土地を、何のためらいもなく離れてきた私には、この言葉のもっている本当の重みがわかっていないのかもしれない。映画を観終った私は、ふとそんなことを考えていた。
村で生き、村で死ぬ。昔から繰り返されてきたこのあたり前の人間の営みの意味を、映画制作に携わる学生たちとともに改めて考えてみたい、今そう思っている。
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