山形新聞 日曜随想5    2003年6月8日(日)掲載分


携帯電話


 学生たちの携帯電話への依存度はとても大きい。一人暮らしをしている学生のなかには、アパートに備え付けの電話を持たない者も多く、彼らにとっては携帯電話が唯一の他者との連絡手段になっている。友だちとも恋人とも、家族とも、バイト先とも、そして教師とも、相手を選ばずに連絡はすべて携帯電話を使って行う。携帯電話を持たないと不安だと言う。メールの送受信はもとより、時計やスケジュール帳代わりにもしている携帯電話は、彼らの生活において絶対に欠かすことのできないコミュニケーション・ツールなのだ。
 確かに、仕事をし始めた二年ほど前に携帯電話を初めて持った私も、その恩恵に十分に浴していることは認める。これがなければ、まず、今の仕事は成り立たないだろう。だが、相手のいる場所や状況に何の配慮のないままに一方的にかかってくる暴力的な携帯電話に煩わしさを感じているのもまた確かである。それに、携帯電話を使うようになってから、私自身、人との関係における緊張感が希薄になったのではないか、と反省することもたびたびある。いつでもどこでも連絡できる、という気楽さが、例えば、待ち合わせ場所についての恋人との打ち合わせを簡単にした。携帯電話を持っていなかったころは、もっと事前に時間と場所の打ち合わせを綿密にし、その打ち合わせも二人にとっては大切なコミュニケーションの時間だった。それでも、急の用事で遅れたり、行けなかったり、時にはすれ違いを生じさせることもあった。すれ違いは二人の関係に溝を作ることもあるが、だからこそ、常に緊張感と慎重さを保つことができたのかもしれない、とも思うのだ。
 私には、忘れられない経験がある。もう、五、六年前になろうか。遠距離恋愛をしている私は、仕事で上京していた恋人と、東京駅で待ち合わせをしていた。久しぶりに会えることを楽しみにしていたのだが、ところが運悪く台風が上陸したことで、新幹線の運行は停止してしまったのである。そのころ静岡に住んでいた私には、東京まで出る手段は新幹線しかない。携帯電話などまだ持っていなかった私たちは、互いに連絡をとりあうこともできない。しばらく迷ったすえに、私は、「新幹線の南口で十二時に待っているから」という約束だけを唯一の頼りに、とにかく、停車している新幹線に乗り込んで、運行の復旧を待つことにしたのである。新幹線が動き出し、ようやく東京駅に着いたころには、既に時計の針は午後五時をまわっていた。五時間も過ぎているのだから、さすがに、もう待っていないかもしれない。八割方諦め気分で、新幹線の南出口へ向かった。すると、改札口の人ごみのなかに、彼が立っているではないか。え、うそでしょー。私は思わずそう叫んで、彼の方に駆け寄った。私の顔を見ながら、彼は少し恥ずかしそうに、こう言った。来てくれるかなと思って待ってたんだ。でも、この新幹線に乗っていなかったら、諦めて帰ろうかと思っていた。私は、彼の根気強さとそして運命の神様に心から感謝した。
 中学時代かもしくは高校時代から、携帯電話に慣れ親しんできた学生たちに、こんな話をしても、「世代が違いますよ」とただ笑われるだけだが、携帯電話が、人とのすれ違いをなくし、偶然の出会いの感動を希薄にしているということの意味はことのほか大きいのではないか。例えば、中国の雲南省の少数民族には、近隣の村から集まってきた男女が互いに歌の掛け合いをして、結婚相手を決める伝統的な祭がある。普段は行き来のない村人同士であるから、若者たちのその歌のかけ合いへの意気込みは真剣で緊張感がある。だが、ここ数年で彼らの間にも急速に携帯電話が普及し始めている。いつでも連絡できるという便利さが、この歌がけをいずれは余興的なものに変えていくことはまず間違いないだろう。
携帯電話によって伝統的な民俗が失われていくことを憂いてるわけではないし、若者文化を非難しているわけでもない。ただ、携帯電話というひとつの便利な道具が、いったい人と人との関係や文化にどのような変化をもたらしたのか、そして、それでも変化しないものとは何なのか、そんなことを、少し真剣に考えてみたい、そう思っているのである。

BACK