山形新聞日曜随想4   2003年5月4日掲載分


学生たちとの映画づくり


 映画ができあがった。『関川のしな織―山形県温海町関川の樹皮布―』という六〇分余りの記録映画だ。東北文化研究センターの映像プロジェクトとして、私は、学生とともにこの一年をかけて温海町関川に通い、そこで伝承されてきたしな織の作業を撮影してきた。しな織とは、シナノキの皮から取り出した繊維を糸により合わせ、それを機で織り込んだ樹皮布のことである。木綿や麻布に比べ目は粗く、肌触りもざらざらとしているが、素朴な風合いや色合いが化学繊維に慣れた私たちにはかえって新鮮に感じられる。水に強く、通気性もよいという性質から、しな織は、昭和三〇年ごろまでは、酒の漉し袋やもち米の蒸し布、魚とりの網などに使われていたが、今は女性用のバッグや帽子などに加工され、高級品として販売されている。
 民俗の継承において、昭和三〇年代、すなわち高度経済成長期は大きな転換の時期である。特に、村の伝統的な生業への影響は大きかったようだ。しな織もその例外ではなかった。山形県と新潟県にまたがる山村では、かつてはどこでも長い冬の女の仕事として盛んに行なわれていたが、大量生産された安価な化学繊維が普及すると、その需要はなくなり、しな織をする女性たちの姿も、急速に村の生活のなかから消えていったのである。
 だが、関川では、しな織は民芸品という新しい価値を見出され、今でも村の経済を支える重要な産業となっている。高度経済成長の影響を被りながらも、時代の流れを逆手にとって、したたかに、そしてたくましく守り続けてきたしな織の伝統技術というのはどういうものなのか、映像に記録してみたい。それが、『関川のしな織』を制作しようとする最初の私たちのモチベーションであったのだった。
 しかし、学生の目を通し、出来上がった作品は、最初の動機をはるかに越えている。まずは、しな織の作業の合間に映し出される、関川の自然や村の風景が鮮やかで美しい。青空に映える摩耶山、村の中心を流れる鼠ヶ関川のみずみずしさ、しっとりとした秋の実り、輝くような冬の雪景色、賑やかな正月行事。いずれも、映画に色艶を与える重要な映像となっている。撮影の引率者として立ち会っていた私には、何時間も粘ってカメラとマイクを構えていた学生たちの姿が思い出される。そして、しな織の工程。初めて目にする作業の一つ一つに対する驚きや感動が、この映像を作り出した。
 何よりも驚いたのは、村の抱える現実が実に淡々と映し出されていることだ。関川では、しな織が村の中心的な産業になっているとはいえ、それを支えているのは六〇代、七〇代のおばあちゃんたちだ。村の若い女性たちは、それぞれ仕事をもっているため、しな織の作業にはほとんど携わっていない。つまり、これからしな織の技術をどのように継承していくのか、あるいはしていかないのか、関川のしな織は一つの岐路に立っていると言っていい。学生たちは、村の暮らしの豊かさに共感しながら、一方では、おばあちゃんたちの明るい笑顔の向こう側に、そうした村の現実があることを自然に感じとり、そこに穏やかで、かつ冷静なまなざしを向けていたのである。
 自由に使える撮影機材や編集機材の数々、飯塚俊男監督やカメラマンの一之瀬正史氏などの一級の映像のプロによる指導、そして、しつこいほど通い続けた学生たちをいつも受け入れてくれた関川の人々の温かさ。そうした恵まれた環境のなかで、学生たちはこの一年で大きく成長していったように思う。飾らない素直な感性は学生の一番の武器だが、それを映像表現を通してひとつのかたちに結実させていく力を学生たちはいつのまにか身につけていた。五月二十一日に芸工大で行なわれる上映会などで、彼らの映し出す民俗の世界をご覧になっていただけたら幸いである。





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