山形新聞・日曜随想3 2003年3月30日(日)掲載分


女の祭り


 「ヨンドンハルマンが帰るときは、いつも冷たい風が吹く。」
そういう地元のおばあさんたちの言葉通り、三月中旬の済州島は、私の“南国陽気”という甘い期待を完全に裏切って、身を切るような冷たい雨と風にさらされていた。
 東北文化研究センターで昨年より始められた研究プロジェクト「東アジアのなかの日本文化に関する総合的な研究」の一環として、私たちは、三月一五日から一八日にかけて、韓国済州島のヨンドンクッ(「クッ」は巫祭のこと)の共同調査を行った。ヨンドンクッとは、東方から来訪するヨンドン神(地元では、親しみを込めて「ハルマン=おばあさん」と呼ぶ)をもてなし、ふたたび海の彼方へ送り出す漁村の祭りで、海女や漁師たちの海上安全と海産物の豊穣を祈願する行事である。
 この祭りの最も大きな特徴は、女の祭りである、ということだ。祭りを司る首シンバン(中心となるシャーマン)は現在では男性の場合も多いが、それ以外は船主の妻たちや村の海女たちなど、とにかく女性ばかりである。火山島で農耕に適した肥沃な土地の少ない済州島では、昔から海の恵みを利用して生活を営んできた。なかでも、確かな潜水の技術を持ち、韓国本土や日本へも出稼ぎに活発に出て行くバイタリティ旺盛な海女たちが島の暮らしをささえてきたのである。七〇代で潜っている現役の海女も大勢いるという。この島が「三多島」、つまり、「石が多く、風が多く、女が多い島」と言われるのも、なるほどうなづける。
風雨の冷たさなんて何のその。生活のすべてが海にかかっている海女たちの祭りに対する態度は真剣そのものだ。ヨンドン神や海の神である竜王を徹底的にもてなして、よろこばせることに全勢力が注がれるのである。
まずは、祭壇に溢れんばかりの供物を捧げる。山盛りの飯、大きな餅、鯛の開き、太刀魚の干物、とってきたばかりのサザエとアワビ、そして豚の頭、焼酎。神をおなかいっぱいにさせ、酔わせたら、今度は踊りと音楽で楽しませる。ドラと鉦と太鼓の勢いのあるリズムに合わせて、海女や船主の妻たちが次々と祭壇の前に出てきて、腰を振り、掌を高く掲げて踊り始める。音楽のテンポがあがると、踊り手の意気も高揚し、まるで神がかったように髪を振り乱し、大騒ぎしながら踊りまくる。踊り手も観客も笑いと熱気に包まれる。
これはまさに、神に踊りを見せているというより、神も人も入り乱れて楽しんでいる、という光景だ。祭りのことを、神遊びとか、神遊ばせと言ったりするが、それは本来祭りというのが、こんなふうにどちらが神でどちらが人かもわからないほど親しい関係になることを指していたからかもしれない。
 こんな元気な女性たちを見ていると、ヨンドンクッが、済州島をめぐるいくつもの過酷な歴史や環境を背負っているということを思わず忘れてしまう。日本の植民地時代には祭りが中断されていたこと。島の中心の切り立った漢拏山の山肌を強風が吹き降ろすため、海難事故が多く毎年何人もの死者の出るということ。また、儒教文化のなかにある韓国では、男たちよりも稼ぎがよく、年をとっても子どもを頼らず働いている済州島の海女たちは強い差別のまなざしにさらされてきたということ。ヨンドンクッでみせた済州島の女性たちの陽気な笑顔は、そうしたことのすべてを引き受けて、背負ってきた女のたくましいの表情なのである。
 たくましくて、元気で、そして輝いている女性たちにもてなされて、ヨンドン神もさぞかし満足して海へ帰っていったことだろう。祭りの終わった後の海は、ほのかに陽が射しおだやかだった。


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