山形新聞日曜随想2 2003年2月23日掲載分



「水に親しむ」ということ



 昨年の10月以来、私は、羽黒川の河川改修事業にともなって設立された羽黒川川づくり検討委員会に委員として参加している。羽黒川は米沢市内を流れる最上川の支流で、河畔林も豊富に繁り、ウグイやカジカも生息する清流であるが、その一方で、台風等の集中豪雨の際には水が氾濫し、流域住民の生活を脅かす暴れ川でもある。したがって、河川改修は、主に洪水による被害を防ぐための、川の断面積の拡大と河道を整えることを目的として行われる。とはいえ、環境への意識が高い現在では行政の側も、かつての河川工事のようにただコンクリートで固めてしまえば済むという認識ではもはやなく、広く住民の意見を聞き、また、その河川特有の景観や自然、また歴史、文化に配慮した川づくりをしていく必要性を強く感じているようだ。
 委員を引き受けて、まず私は、改修工事予定地域の下流部から上流部までを歩いて辿ってみることにした。水は澄んで、サギが川原に降り立っていた。なんて美しい川なんだろうとその環境のすばらしさに感激する一方で、ひとつの疑問が生じた。流域の人たちはこの川をどんなふうに利用してきたのだろうか、と。時間帯が悪かったのか、どこにも人の姿が見られなかったのだ。実際、以前行われた流域住民へのアンケート調査でも、昔は川に行ってよく遊んだものだが、最近は河畔林が繁っていて川に近づきにくくなったといった意見が多く寄せられている。川が人から遠い存在になっている、そんな印象を受けた。
 川づくり検討委員会でもその点が大きなテーマとなっていて、行政側からは、地域住民が豊かな生態系に触れることができ、河川をここちよく利用できるような「親水空間」を提供する、という川づくりの方針が提示された。具体的には、水遊びや生態系学習のできる場所を確保し、散策路を整備するというものだ。親水、すなわち、水に親しむということは、何も羽黒川だけではなくて、現在、川や湖の水辺環境を整備する場合に重要なキーワードになっている。しかし、「親水」というこの言葉、調べてみると、昭和初期に発刊された国語辞典である『大言海』にも、また、初出用例を調べるのに定評のある小学館の『日本国語大辞典』にも記載がない。実は、かなり新しい言葉であるようなのだ。
 では、親水という言葉が使われる以前は、人はどのように川とかかわってきたのだろうか。私は、羽黒川流域に住む何人かの方にお話を聞く機会を得た。すると、羽黒川がみるみると豊かな表情を見せて立体化してきたのだ。護岸のために川原に植えた栗や杉の木を上手に生活のなかで利用し各家で管理していたこと。洪水の度ごとに流される丸木橋をみんなで協力して下流まで探しにいったこと。屋敷のなかに川の水を引いて利用し、いったん池で澄ましてから排水していたこと。親水などとあえていうまでもなく、流域住民にとって川は生活に根ざした存在であり、だからこそ、人々は川の流れや水質の管理や護岸などに主体性をもってかかわっていたのである。
 そして、とても興味深かったのは、羽黒川沿いに山の神が点々と祀られていることである。これは、川の水の恵もまた川の水の氾濫もすべては山からもたらされるということを、羽黒川流域の住民が常に意識していたからにちがいない。すなわち、かつて人々は、川を、山の源流から水が海へと抱かれていく、その一連の長い道のりとしてとらえていたのだ。
 近代化された現在の生活スタイルに安住する私たちからは川はあまりにも遠い存在になった。川への関心も希薄となり、川とはただ目の前に存在する無機的な「もの」としてしか見られなくなってしまった。もちろん、伝統的な生活様式を復活させることなどできない。しかし、「親水」という言葉が単なるスローガンに終わらないようにするためにも、かつての住民の川へ主体的なかかわり方や川を通した自然環境への人々の豊かな想像力に、学ぶべきものはいまだ大きいように思う。


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