山形新聞日曜随想1 2003年1月19日(日)掲載分



おのれの残虐性に向き合う


 先日、『豚の報い』で芥川賞を受賞した又吉栄喜(またよし・えいき)の小説『人骨展示館』を読んだ。タイトルからして奇抜であり、一見するとオカルト小説のようにも思われるが、実は、ユーモアと皮肉たっぷりに人骨をめぐる人間模様を描いた喜劇小説である。ストーリーはこうだ。
 沖縄のあるグスク(城)の石垣の下から、十二世紀ごろにグスク普請のために人柱として埋められたと考えられる人骨が発見された。この人骨の主は二十代半ばの未婚の女性であり、しかも、両手両足を曲げてきつくしばった状態で埋められていたことがわかったのである。この人柱の人骨に、様々な人間がかかわっていく。人骨を研究資料としてしか関心をもたない科学信奉の考古学者、人骨を自分の祖先だと信じ、人骨展示館にお祀りしようとする沖縄人女性、沖縄戦の犠牲者だと主張する平和活動家など、いろいろだ。主人公の青年は、この人柱の人骨をめぐる人々のグロテスクな争いに翻弄された挙句、不気味に、また神々しく輝く人骨の復元像とともに人骨展示館にたったひとり取り残されてしまう。
 『豚の報い』のときもそうだが、沖縄という土地での人と人との間にある密度と湿度のきわめて濃い独特な空気を、又吉は実に絶妙に表現している。と感心する一方で、人柱とか人身御供といったものをしばらく研究テーマに掲げてきた私には、人柱のような暴力的で理解不能なものをいまだに扱いかねているアカデミズムの体たらくを風刺しているように思えて、読みながら冷や汗が出てきた。
 人柱や人身御供といった人を犠牲にする暴力的な儀礼習俗は、学問的に論じるにはきわめてデリケートで、論じる者の倫理観や価値観をむき出しにする問題である。
 例えば、大正十四(一九二五)年に、関東大震災で倒壊した皇居の二重櫓の下から数十体の人骨が発見されるという事件がおこっている。頭に古銭を載せ、櫓の土台下に一定の間隔で埋められていたことから、当時の新聞各紙はこれを人柱事件として取り上げ、大衆の好奇心をかきたてた。だが、アカデミズムでは、一時、人柱か否かということで論争は起きたものの、結局何の決着もつかないまま人骨は芝の増上寺で供養され、それとともに議論も終息してしまう。そして、いまだにその真相は闇の中。日本の近代国家を背負っていた当時の知識人にとって、人柱という「野蛮」な習俗は、かつて日本で行われていたなどはとても認められない「国辱」だったというわけだ。
 実は、人の犠牲という暴力的で残虐な習俗に対する抵抗が強いという状況は、現在の学問の世界でもあまり変わっていない。古代日本の殉葬や殺戮の問題に取り組んでいる考古学者の松井章さんは、発掘調査に基づいてとても刺激的な議論を展開しているのだが、それに対する日本のアカデミズムの反応はきわめて冷ややかだという。
 また、たとえそうした問題が研究対象として選択された場合にも、学問の一定の枠組みに当てはめて合理的な説明が加えられることで、毒気や臭気が抜き取られた無機質な「もの」のように扱われてしまうことがほとんどだ。『人骨展示館』で登場する、非科学的な迷信や信仰を極端に嫌う考古学者の女性がこう言い放ったように。「この人骨は拝む対象じゃないのよ。研究の対象よ。骨よ。物理的な。」
 アステカやインカでは人身供犠が行われていたとか、東アジアでは首狩りがつい最近まであったなどとは言っても、日本における人柱の問題についてはなかなか認められない。それは、明らかに研究者の側に、おのれの歴史を引き受けていく覚悟と、人間の本性に対する想像力と、それから又吉の小説のようなユーモアが欠如しているためだと言えるだろう。私自身も含めて、日本の文化や歴史について研究しようとする者は、人柱という問題をめぐって露呈する自文化に対する向き合い方を見直してみる必要があるとあらためて思った。



BACK