河北新報・微風旋風7 2004年1月29日掲載分

伝統の味の行方


 年末に東京で、『味』というドキュメンタリー映画を観た。主人公は、四谷で小さな中華料理店を営む佐藤孟江さん、浩六さん夫妻。山東省済南で生まれた妻の孟江さんは、若い頃、山東料理のなかでも最も古い歴史をもつ“魯菜”の料理人に弟子入りし、終戦後日本に帰国してから夫とともに店を開いた。一切の砂糖やラードを使わないという魯菜の伝統的調理法を、老夫婦は今でも頑なに守り続けている。
 驚くべきことに、本場の中国では文化大革命時代に、宮廷料理にもつながる魯菜の料理人は迫害され、今では、その調理法はまったく廃れてしまったという。つまり、伝統の魯菜料理の味を受け継いでいるのは、日本人であるこの老夫婦だけなのである。したがって、中国政府は孟江さんたちに「正宗魯菜伝人」という称号を与え、毎年中国に二人を招いて料理学院の学生たちへの指導を仰いでいるのだ。
 そうした皮肉な状況に更に拍車をかけているのが、現代中国を席巻している近代化への志向である。孟江さんが招かれた料理学院では、中国人の教員たちはみな、伝統的な魯菜ではタブーとされてきた砂糖を、近代化の象徴である化学調味料とともに使用することを奨励している。学院長は、「経済発展とともに料理もどんどん変化しなければならない。孟江さんの守るものは大切だが、彼女は生きた化石のようなものだ」と言い切る。
 こうした教員たちを前にして独り言のように呟いた孟江さんの言葉がとても印象的だ。「昔は、物が不足していたからこそ、工夫をして最も洗練されたものを作り出したのだ」と。伝統が伝統たる所以、伝統の味というものの本質を、全人生を魯菜に捧げてきた彼女は経験的に理解してきたのだ。時代の流れのなかで、変わるもの変わらないもの、そして、守るべきものとは何か。映画で問われるものは大きい。帰りがけに中華料理を頬張りながら、私は彼女の言葉の意味を噛みしめていた。(東北芸工大東北文化研究センター研究員。山形市)




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