河北新報・微風旋風5 2003年11月4日掲載分

野生と栽培の境目


 十月の中旬に、ラオスを訪れた。東北文化研究センターで今年から始まった焼畑プロジェクトの共同調査のためだ。
 ラオスで目にする焼畑は、カブを中心とした山形や新潟の焼畑を見慣れている私にとっては、とても衝撃的だった。陸稲だけでも十種類近くが育てられ、そこに、ハトムギやバナナ、ウリ、トウモロコシなど、数え切れないほどの作物も混植されている。それは、あたかも作物の単一化に抗しているようにも見える。
 焼畑の土地は、次の栽培期間に備えて、十年から二十年という長い時間をかけて自然の森に返されていく。多様な作物が混植されるラオスの焼畑は、もともと雑多なものが共存する自然に、できるだけ近い状態で焼畑を行うことで、自然に返りやすい条件を作っているのではないか、それが、ラオスで焼畑をする人々の環境への配慮なのではないか、という印象さえ受ける。焼畑とは、本来このように自然(野生)と栽培との境目が曖昧な農耕だったのかもしれない。
 ところで、この野生と栽培との関係を考える上で、興味深い風景を同じラオスで私は目の当たりにした。それは、人間の生活環境にとても近いところで野生稲が群生している光景だ。普通私たちは、野生の植物と言えば、人間の影響の少ない山奥でひっそりと生えている様子を思い浮かべるが、この野生稲は、たとえば自動車の往来の激しい国道沿いの水溜りや、水牛が水遊びしたり、子供たちが魚釣りをしたりする小さな湿地帯に群生しているのである。
生物学者の佐藤洋一郎さんによれば、野生稲の生長に適した環境は、人間や動物が適度に利用することによる「撹乱」によって作られる。だから、保護しようと頑丈なフェンスで隔離したりすると、かえって、繁殖力の旺盛なマメ科の植物などに野生稲が淘汰されてしまうというのだ。
 野生とは?栽培とは?五日間という短い調査旅行のなかで、私はとても重要なこの言葉の意味を改めて考え直していた。(東北芸工大東北文化研究センター研究員。山形市)


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