河北新報・微風旋風4 2003年10月2日掲載分
栗の思い出
私の母は、この季節、日曜日になるとよく山盛りの栗を八百屋で買いこんできた。そして水でふやかした栗の皮を子どもたちと一緒に剥いで栗ご飯を作るのだ。日曜日だというのに面倒な甘皮剥ぎを手伝わされる私たちはたまらない。文句を言いながらも栗ご飯食べたさに結局最後まで手伝うはめになる。ホクホクとした黄色い粒のちりばめられた栗ご飯は私の大好物だった。
今から思えば、教員として働いていた母親は、普段は忙しくて私たちの相手をできない分、秋の日曜日に子どもたちに栗の皮剥ぎを手伝わせることで、家族団らんの時間を少しでも補おうとしていたのかもしれない。秋の食卓を彩る栗ご飯は、そんな母親の私たちに対する愛情表現のひとつだったように思う。
栗をめぐる私の記憶は、このように母親の姿とともにあるのだが、山形県村山市の上五十沢では、あるおばあちゃんから、栗にまつわるこんな話をうかがった。
裏山には栗の木がたくさん生えていて、秋になると大量の実を落とした。栗拾いは集落の女たちの仕事だ。栗は食べてもうまいし、いいお金にもなる。だからできるだけたくさんの栗を拾おうと、母親たちは競い合うように明け方まだ薄暗いうちから山に入って栗拾いをした。子どもたちは、母親の拾ってきた栗の皮剥きを毎日手伝った。昔は、大根葉などをご飯に入れたカテ飯を食べていたが、そのなかでも栗ご飯は上等で、一番うまかったんだ、と。
栗ご飯の甘い味が母親との思い出とともに思い出される点では、私とおばあちゃんの記憶には共通するところもある。でも、子どもの担う皮剥ぎの意味も、栗ご飯を食べたときの喜びも、飽食の時代に育った私の思い出とは質的に異なっているようだ。栗はかつて山の暮らしを支える重要な食糧だったのだ。稔りの秋とひとことで言うけれど、栗の記憶ひとつとってみても、その風景は昔と今とでは随分と変ってきているのである。(東北芸工大東北文化研究センター研究員。山形市)