河北新報・微風旋風2 2003年8月5日掲載分
至福の時間
私が大阪から東北へ移り住んでからずっとお世話になっているご夫婦がいる。山形県尾花沢市の牛房野という集落に住む、佐藤昭三さんと一枝さんである。
出会いは、二〇〇一年の五月上旬。昭三さんは、牛房野ではたった一人となった焼畑農耕の伝承者である。牛房野カブというカブの在来品種を守り続け、今でも山の草地を焼いて栽培している。その焼畑の技術を映像に記録させていただこうとお宅にうかがったのが最初であった。東文研の研究員になってまだ間もなく、右も左もわからない頼りない私が、学生をひきつれて映画を撮りにくる、そんな唐突の依頼におそらく最初は昭三さんも一枝さんも当惑したに違いない。だが、お二人とも学生たちをいつもあたたかく迎え入れてくれて、一年間の撮影の末、「牛房野のカノカブ」という映画が昨年春に完成したのであった。
しかし、むしろご夫婦と私たちとの関係が本当に始まったのはそれからだったように思う。学生も私も、何か機会を見つけては昭三さんのお宅を訪ねるようになった。「蛍、見に来い」という昭三さんのお誘いに甘えて、夏の一夜をのんびりと牛房野ですごしたり、カブの収穫をお手伝いしたご褒美に辛くてでも格別に旨いカブ漬けをご馳走になったり。特に撮影とか調査とかといった目的を持たないつき合いが、今に至っても続いているのである。
ただし、何を聞こうという目的はもっては行かないものの、ご夫婦からはいつもたくさんの記憶のお土産をもらって帰ってくる。先日も、一枝さんは、牛房野にお嫁に来たときのことを聞かせてくれた。自分の生まれ育った村を離れ、全く知らない土地に嫁入りする、その戸惑いを、一枝さんは、記憶の糸を手繰り寄せるように、ゆっくりと懐かしそうに話してくれる。そのひとつひとつの言葉に、私は時間が経つのも忘れて聞き入った。それは、調査というスタイルでは味わったことのない至福の時間だったのである。
学生たちにとっても、そして私にとっても、映画作りをきっかけに始まった昭三さんご夫婦との関係は、大切な宝物になっている。
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