河北新報・微風旋風12 2004年6月22日掲載分

異種混交の庭



 今年の四月から、私は大学で教鞭をとっている。いくつかの授業のうち、民俗学の基礎文献を講読する演習には、民俗学を専攻する学生の他、他学科の、たとえば、プロダクトデザインを専攻する学生や、芸術家のたまごである美術科の学生など、さまざまな分野や関心をもった学生たちが集まっていてとても面白い。
 先日も、このゼミでちょっとした波瀾が起きた。彫刻を専攻する学生が発した言葉がきっかけだった。「民俗学を勉強している人たちは、何が面白くてやっているのか、昔やっていたことを調べて、何の役に立つのか、俺には全くわからない。」普段はほとんど発言のない彼からのいきなりの直球の質問に、一瞬にして研究室の雰囲気は凍りついた。民俗学を専攻する学生たちはみな困惑した表情を浮かべ、なかなか応答ができない。
 どんな展開になるのか、黙って見守っていると、質問をした学生は、さらに言葉を続けた。自分は自らを見つめるために彫刻をやっていて、自分を追いつめたときに快感を得るのだが、民俗学はいったい何のためにやるのか、俺は、それが知りたくてこのゼミを受講したんだ、と。
 民俗学のどこが面白いのか知りたくて演習に参加する、そんな彼のユニークで前向きな発想に私は心から感心した。そして、民俗学も聞き書きという手段で自分自身の生き方を考える学問であり、豊かな経験をしてきた人たちの人生に触れられたときに、一番感動するのだと、私なりの民俗学観を伝えた。他の学生たちも、全員、たどたどしくも彼らなりの言葉で自分について、学問について語り始めた。演習終了後の学生たちの頬はいつになく紅潮していた。
 同じキャンパスに分野の異なる学生や教員が混交するこの大学では、時にしてこうした刺激的な出来事が起こる。異なる者同士が場を共有することで、初めて客観視できる自らの姿。異種混交の庭で、自分を発見する格闘は続く。




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