河北新報・微風旋風10 2004年4月22日掲載分

組織と信頼


 先日、日本近現代史の若手研究者である鶴見太郎の近著『民俗学の熱き日々』(中公新書)の書評を引き受けた。鶴見は、日本の民俗学の創始者である柳田国男が、歿後四〇年をすぎてもなお今日まで日本の学問・思想界に大きな影響力をもちつづけているのはなぜか、と問いかける。そして、著作を通して自由に柳田に接してそのエッセンスを継承していった民俗学内外の人々の仕事を丹念にたどっていくのである。あえてその周辺から、柳田国男という人物を照らし出し、その魅力を軽やかに称えるこの著書は、爽快で、とても新鮮だった。
 さて、この鶴見の柳田論によって鮮やかに浮かび上がってくる一人の人物がいる。それは、戦中戦後、柳田の手足となって働き、柳田を陰から支え続けた橋浦泰雄である。橋浦は、一般的にはコミュニストとして民俗学を学んだ人物として銘記されるが、今日の民俗学のなかではほぼ忘れられた存在になっていた。
 ところが鶴見は、この橋浦が、現在の日本民俗学会の前身である民間伝承の会の立ち上げから運営まで、その会を組織として成り立たせるにあたって欠かせない、重要な役割を果たしてきたことを指摘する。橋浦は、あえて中央から地方に支部を作らず、各地で自生している既存の郷土研究会を尊重し、それを組織の基礎とすることにこだわった。そして、事務局に個別的に寄せられてくる質問や情報に対し、ひとつひとつ目を配り、丁寧に対応した。大きな組織にありがちな画一化された文言や書式をいっさい使わず、各地の会員をひとりの人物として遇したこの橋浦の存在があったからこそ、民間伝承の会は地方からの信頼感を維持し続けたのだ、と鶴見は言う。
 組織を成り立たせるのは、何よりも顔の見える個人のつながりによる信頼感であることを、橋浦はまさに体現していたのだ。さて、自分はいったいどこまでできているのか、反省するばかりである。



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