河北新報・微風旋風1 2003年7月8日掲載分



村で生きるということ



「手、黙ってなんていられねえ。」摩耶山の麓に広がる山間の集落、山形県温海町関川に一年間学生とともに通って、私たちはこの春に、「関川のしな織」という民俗映画を完成させた。学生のむけるカメラのレンズの向こう側で、おばあちゃんたちは、孫に昔話をするかのように優しい声色でいろいろな話を聞かせてくれた。その中でもとても印象的だったのが、なぜしな織をし続けるのか、という学生の素朴で唐突な問いかけに対しておばあちゃんたちがぽつりと答えた、この「手は黙っていられない」という言葉である。
 しな織とは、梅雨時に剥いだシナノキの皮の繊維を糸にして織った樹皮布であるが、特に手間のかかるのが、短いしなの繊維を長くつないでより合わせていく、しな績みの作業であるという。一機分織るのに二万メートル程のしな糸が必要なので、雪が降り始める頃から春先まで、関川の女性たちはとにかく何をするときにもしな績みの手を休めることがなかった。子供を連れて隣の家に行くときも、必ずしなを携えて出かけた。お嫁さん同士が集まって夫や子供のことを自慢したり、愚痴をこぼしたりするお茶飲みの席でも、みな指先は自然に動いていたという。親のしな織の作業を手伝っているうちに、自然に身についた習慣だ。おばあちゃんたちは昔のことを懐かしそうに思い出しながら、そう答えてくれた。
 関川で生きるということが、すなわち、しな織の作業をし続けることとイコールだった、それがおばあちゃんたちの生き方であり、時代であった。関川だけではなく、村の民俗や伝統というのは、どこでもまさにそうやって受け継がれてきたはずである。
 しかし、現代は、進学や就職によって生まれ育った村の外へ出て行く機会も増え、そして生き方も多様化している。むしろ、伝統や民俗が受け継がれるためには、多様な生き方のなかから当事者が自覚的にそれを選択する必要がある難しい時代なのだ。関川でもしな織を若い世代へと繋げていく方法を、今模索しているところである。


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